41 御所ヶ崎 ~横須賀風物百選~
2021年6月。
横須賀に出戻って1ヶ月。10日後に円板状半月板損傷手術を控えた梅雨入り直前の晴れ間。3歳長男を連れて自転車で向かった(膝痛い)のは、たたら浜だった。お昼過ぎだったので、一旦ここでおやつを食べることに。
随分蒸し暑くなってきたこの時期、結構多くの人が海辺で遊んでいて涼しそうだった。我々は、海遊びの用意はなかったので、息子は遊びたがっていたが近辺をお散歩することに。
たたら浜は、砂浜だけではなく、両端にタイプの違う磯があるので、磯遊びや釣りも楽しい場所だ。
時折、波しぶきが顔にかかるのを楽しみながらのおやつ。おいしいね、パパ~!
おやつの後に向かったのが、横須賀風物百選の「御所ヶ崎」だ。
御所ヶ崎は、明治期に建設された「走水低砲台」の遺構が多く残っていて、戦後の長い間立ち入り禁止だったが、平成28年に整備され、公開されている。
散策路はそこまで厳しい道のりでもなく、割と簡単に素晴らしい遺構を観る事ができる。砲座は27㎝加農砲4門を備え、東京湾要塞の一角を担っていた。
小高い丘の上に出れば、東京湾を一望することができる。何度ここからゴジラが現れたことか(幼少時の夢の中ではたたら浜や観音崎から親父とゴジラが東京湾に現れる夢を幾度となく見たもんだ)。
この堂々たる砲座は、しかし日清・日露戦争でも出番はなく、関東大震災で大きな被害が出る。
大東亜戦争の頃には、横須賀重砲兵学校の演習用砲台として復旧し、終戦まで稼働していた。
兵舎や弾薬庫も良好に残っており、内部が公開されているものもあった。
開いてる、ちょっと入ってみようぜ。怖がる息子を連れて入ってみると、存外恐くてそそくさと逃げ出すおっさんでした。
御所ヶ崎は、旗山崎とも呼ばれている。この地名は、古事記や日本書紀にある日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東国征伐の折の伝説に端を発している。
日本武尊は走水から上総国へ船で渡ろうとしたが、海が荒れ進むことができなかった。妻である弟橘媛(オトタチバナヒメ)は、海神を鎮めるため海に身を投じると、海はたちまち鎮まったという。
地元の伝承によると、日本武尊はこの地に臨時の御所を設け、軍旗を立てたことから「御所ヶ崎」、「旗山崎」と呼ばれるようになったという。そして、この御所ヶ崎の先端である「むぐりの鼻」から、弟橘媛が侍女と共に身を投じたと伝えられている。
戦国期には、天正18(1590)年に入封した徳川家康によって走水に番所が置かれ、江戸末期の天保14(1843)年には異国船の侵入を防ぐべく、川越藩によって台場が築かれた。
走水と呼ばれるこの地域一帯は、古代から名の残る土地で、埋もれてしまっているが様々な歴史がある。日本武尊東征の道程は、古東海道とされ、吉井の安房口神社や、この走水、そして上総へ渡る道順と考えられている。
遊びまわった息子。
帰り道、自転車でぐっすりお昼寝でした。
参考文献
「横須賀風物百選」
御所ヶ崎近辺にある説明看板
横須賀市のホームページ
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