浦賀人が、吉井に棲む。

神奈川県横須賀市!ペリー来航の地より。

37 坂本龍子の墓 ~横須賀風物百選~

2021年8月29日(日)お昼過ぎ。

巡ってから2年近くたってしまったけど、夏が過ぎるのを惜しむような暑さは覚えている。長男当時3歳。自転車に乗せて父の趣味に付き合うの巻。

京急大津。この近辺を散歩するのは初めて。

京急大津は、始発駅の浦賀から馬堀海岸を経て3つ目の駅。近いがゆえにこの駅で降りることは稀だ(今回も自転車で来ている)。

 

この近くに坂本龍馬の奥さんのお墓があるというのはずいぶん前から聞き知っていたが、そもそもあまり興味を持っていなかったため、お参りすることもなかった。

 

龍馬の妻・坂本龍子さんのお墓参りをするなら、まずは通勤電車の中からもよく見える、「大津おりょうさん公園」に寄ってみようと思った。

駅改札を出るとすぐ目に入る。

龍馬とおりょうの恋文ポストが設置されている。幕末の英雄・坂本龍馬筆まめで知られていて、とてもユーモアのある文章が残っている。例えば、勝海舟の門人となり海軍で稽古をすることを報告する手紙で「えっへんえっへん<(`^´)>」と姉の乙女に自慢したりしていて、なかなかお茶目だ。

平成28年10月8日、湘南学院高等学校おりょうプロジェクトにて設置。

妻であるお龍さんにもラブレターを書いたかどうか。ともかく、令和の世に棲む我々も、慣れない手紙を茶目っ気たっぷりに書いてこのポストに投函するのも一興かもしれない。

 

「坂本龍子の墓」がある信楽寺は、道が枝葉のように分かれる住宅地の奥にたたずんでいるが、随所に案内があるしそこまで向かうのは大変ではない(のに幾度か迷った)。

京急大津駅から歩いても5分くらいだ。

浄土宗信楽(しんぎょう)寺は、永正元(1504)年の開山で、本尊は運慶の作と伝わる阿弥陀如来像である。行基の作である聖観音は、源氏の武将・熊谷直実の守護仏であったが、熊谷寺から近江(滋賀県)国大津の信楽寺へ移す予定が、使者が誤ってこちらの信楽寺へ納めちゃったというエピソードが伝えられている。

 

さて、横須賀風物百選・坂本龍子の墓は境内の割と見つけやすいところにあった。坂本龍馬の妻といったらどんな人なのかなぁ、と想像を巡らしたり、2回読んだ司馬遼太郎の名作「竜馬がゆく」からイメージしてみたりするのだが、お墓を前にするとどうも調子が狂うようで、なかなか思いが湧いてこない。

境内はいたって静謐。

墓石には、「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。坂本龍馬は33歳の若さで非業の死を遂げるのだが、当然に龍子さんの人生はその後も続いている。龍子さんは龍馬亡き後坂本家へ身を寄せるが、どうやら関係性がうまくゆかなかったのか、坂本家を去り各地を流転している。

近江、大津、信楽。不思議な縁で龍子さんはここに眠る。

やがてこの横須賀へ流れ、今の米が浜通りの西村松兵衛へ嫁ぎ、「西村ツル」として30年近く暮らした。幕末から明治という激動の時代を生きた坂本龍子さん。龍馬からもらった手紙の数々は、「私だけの思い出」とし、すべて燃やしてしまい、現存するのは一通のみらしい。

享年66歳。龍馬のちょうど倍の年数を生き(いずれも数え年・・合ってるかな?)、その中で龍馬と過ごしたのは3年程度という。「坂本龍子の墓」でしばし祈る。浦賀を今一度選択いたし申し候(範囲狭っ)。

 

参考文献

「横須賀風物百選」

信楽寺にある説明看板

横須賀市のホームページ