浦賀人が、吉井に棲む。

神奈川県横須賀市!ペリー来航の地より。

35 向井正方夫婦墓 ~横須賀風物百選~

2021年8月29日(日)15時前。

坂本龍子の墓をお参りして、こんどは向井正方夫婦のお墓を目指す。

お墓というのでお寺なのかと思っていたら、まさかの住宅が立ち並ぶ坂の上だった。やけにきれいな建物を造っているなと思って後で調べたら、名前だけは聞いたことがある「ぎんなん幼稚園」の新園舎だということがわかった。

ぎんなん幼稚園。2022年に和モダンな新園舎が竣工した。

東京湾に浮かぶ猿島を眺める景色のいい所に、向井正方夫婦の墓はある、ぽっかりとある。まるでそこだけ歴史の流れからあえて踏みとどまるようにして。

 

これも後から調べて、というか実際にこの近辺を電動アシスト機能付きママチャリで当時3歳の息子とうろついて得た印象をもとにグーグルマップを眺めて思ったのだが、かつてこのあたりは坂本龍子の墓の信楽寺、ぎんなん幼稚園を運営する信誠寺、そして向井正方夫婦が眠る貞昌寺といったお寺が林立する区域だったのかもしれない。

閑静なる住宅街にたたずんでいた。

さて、向井正方という人のことだけど、私は全く存じ上げず、この稿を起こしながら勉強をした。現地の案内板などで知りえたことなどを書き連ねると、通称は左近将監。元和7(1621)年というから大坂夏の陣で豊臣家が徳川家康によって滅ぼされてから6年ほど、天下治まりといえども未だ戦国の余風が残る時代に生を受けた人のようだ。

せっかくなので様々な角度から眺めてみる。

墓碑にも刻まれている通り、向井左近将監源忠勝の五男であり、ご先祖様は南朝水軍で名を馳せた人だったという。戦国時代にあっては、今川義元に仕え、それが滅びると武田信玄の水軍として、また滅びてしまうと徳川水軍として招かれ、名を挙げて正方へ至っている。筋金入りの水軍一族といえる。

横須賀風物百選の本の挿絵の角度を狙う。

向井将監正方はというと、5男であったが早世または改易された兄たちに変わり家督を継いで、三浦郡(かつては横須賀、三浦、逗子はこう呼ばれた)の一部1000石の知行を与えられ、伊豆、三浦の海防を担い、やがて加増され2000石となり、大津、森崎、小矢部、金谷、池上、不入斗の諸村を拝領した。

 

横須賀風物百選の本では、草深そうな貞昌寺の裏山に妻の墓碑とともに挿絵が描かれている。「江戸の見えるところに」墓を、との正方の遺言に従い裏山の山腹に建てられた夫婦の墓碑は、平成の宅地造成のため20m程度移築されたらしいが、最初に述べた通り江戸を見渡せる良い景観の場所である。

 

夫婦墓なので、奥さんのことにも触れたいのだが、亡くなった日や服部冬次(誰?)の娘であることくらいしかわからず、語れる材料に乏しい。服部といえば忍者として著名かなぁと思うこと、向(向井)氏の発祥が伊勢・伊賀近辺の人(海賊)で、これも印象は忍者である。

 

どこかそういう似通った境遇の繋がりも見える気がするし、微笑ましいのは夫婦揃って江戸を幾星霜眺め続けている(ある種すさまじい)長閑さが、この横須賀風物百選としてふさわしいような感じもする。

 

参考文献

「横須賀風物百選」

夫婦墓近辺にある説明看板

横須賀市のホームページ