浦賀人が、吉井に棲む。

神奈川県横須賀市!ペリー来航の地より。

30 赤門 ~横須賀風物百選~

2023年4月5日(水)は、朝から京急が事故で止まってしまい困り果ててしまった。

なんとか浦賀から堀ノ内へ出たのだが、再開の見込みは立たず、ホームは人でごった返していたので、思わず改札から逃げ出してしまった。

 

そういえば、京急線に沿ってくねくね延びている道が「うらが道」だったことを思い出し、とりあえず一駅、また一駅歩いてみることにした。

一本松・乗合馬車立場跡。今は三春町二丁目バス停が近くにある。

県立大学駅へむけ歩いていると、「一本松・乗合馬車立場跡」との標柱をみつけた。標柱の説明によると、ここにかつて大きな一本松があり、馬車や乗合自動車の発着所となっていたという。

安浦第2公園 うらが道

さらに少し進むと、「うらが道」の標柱があった。まんま引用すると、「この道は、江戸から金沢、田浦、逸見、汐入、深田、を経て浦賀へ至る昔の要路」だったと記されている。

 

堀ノ内から20分足らずで県立大学駅に着いたが、京急は未だ再開していないようなので、横須賀中央へ向かう。このまま会社まで歩いて行っちゃおうか。

 

県立大学駅から5分くらい。正徳寺坂の先に赤門が見えてきた。坂道を横切ろうとすると車がビュンビュン過ぎていくので、下道のトンネルから向かう。

赤門 唐突に出現する印象。

見てわかる通り、門は赤くない。この赤門は、いわゆる長屋門であり、三浦氏の子孫とされる永嶋家のものであった。永嶋氏は戦国時代には小田原北条氏の浜代官を務め、江戸時代には三浦郡の総名主を務めている。

赤門の名の通りかつては朱塗りだった。

今は見る影もないけど、明治ごろまでこのあたりは白砂青松の景勝地で、猿島はもとより、房総の低い山並みまで眺めることができたという。

 

島崎藤村の小説「夜明け前」には、この永嶋(永島)家が藤村の先祖であると書かれている。

赤門の傍らにある石柱。右 大津浦賀道 左 横須賀金沢道 とある。

なお、正徳寺坂を上った先は三崎街道が走っている。少し行くと日帰り温泉の「のぼり雲」がある。こちらも唐突にドカンと入口に佇む長屋門があり、赤門の永嶋家の親戚で、こちらの永島(永嶋)さんも名主階級の富裕な方だったらしい。

佐野天然温泉 湯処 のぼり雲にある黒門

三崎街道の長屋門は、うらが道の赤門に対して黒門と呼ばれている。いずれにしても、この地域での永島(永嶋)氏の威勢を忍ぶには十分立派な遺構である。

黒門。表札には永島の名が。

正徳寺坂についてもう一つ余談を。

坂のガード上を颯爽と過ぎてゆくのはもちろん京浜急行だ。我が家は妻が妊娠中に坂の上の後藤産婦人科にお世話になっていて(結局ここでは産めなかったのだが)、妻の診察を長男と待つ間によくここまで歩いてきて京急を眺めたのだ。

正徳寺坂の京急ビュースポット。

そして沿線の民家になぜかヤギやトリがいて、なんだかとっても和むのであった。

ヤギやトリたちが現れる。

話は4月5日に戻る。

横須賀中央までたどり着くと、ちょうど京急の運転見合わせが解除されたようで、一場の街道旅気分も解除され、ほとんど本能的に来た電車に乗って自動的に会社へ向かうのであった。

 

ちなみに、「浦賀道」も横須賀風物百選の一つである。浦賀道については、この横須賀風物百選をめぐる長く終わるかわからない取り組みを進める中で否応なく古道の息遣いを感じることができるだろうなと思う。それらを総評して紹介できるのは、多分まだかなり先のことになるのではないか。

 

参考文献

「横須賀風物百選」

赤門・黒門近辺にある説明看板

横須賀市のホームページ

自分の記憶